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他クラスの体育

1・2年生の遠足は春に行われましたが、秋にもう一度行われます。
そして、2年生が案内してあげるということになっています。
今日はその下見に行く予定だったんですが、雨天のためにナシ。

午前中がまるっきりフリーになってしまったので、いつもは見れない他クラスの体育を見させて頂きました。

って言っても、ほとんど実習生が教えていたのでいつものクラスの状況とは違うのでしょうけど。

体育が専門じゃない先生の授業も見させて頂きましたが、その時に「うちの学校らしさのある体育授業」を目指すにあたって、指導方法についてどうするべきかという話になった。

子ども同士の関わりの中から、困ったことがあったときに初めて教師が方法を提示するべきなのか。
教師がこんな方法もあるよ。と提示してから、新たな課題を見つけ、それを解決する過程で子ども同士の関わりを生み出すのか。

ひよこが先か、たまごが先かという議論のような気がしなくもないですが、子ども発なのか教師発なのかというところでは大きく違ってきます。
確かにいつも教師が先に提示してしまうケースをとってしまえば、子ども達は先生が何とかしてくれるという思考になるかもしれません。

しかし、教材によってその辺りは変わってくるのではないかと考えます。
例えば今取り組んでいるとび箱は、何が良くて何が悪いのかという視点を子ども自身が発見するのはかなり難しいと考えられます。

例えば、台上前転ができる子が、できない子に対して、頭の後ろの方を着くんだよ!という指摘をしたとします。それは確かに間違っていません。
でもそれは、腰が高く上がっていることが前提になります。
腰が上がっていない状態で後頭部をつけようとすれば、台の上に体が上がらず、前転までもっていけません。
それにもかかわらず、できる子は自分の見つけたコツを言い続けることが予想されます。
そりゃそうです。できる子はそれを意識することで出来たからです。
腰を上げるというポイントを無意識にクリアしていたとすれば、余計に自分の見つけたコツのほうを主張するでしょう。
つまり、意識すべきポイントは人によって違ってくるのです。

よって教師は、意識すべきポイントを全体に投げかけて、共通の視点を持たせるようにすると良いと思います。
ポイントをいくつか散りばめておけば、私の課題はコレだからコレを頑張るとか、○○ちゃんはコレは上手だけど、コレが良くなればもっとキレイに跳べるはずといった思考が生まれると予想されます。
あるポイントが共通言語として認識されれば、情報交換も活発になるはずであり、それによって関わり合いも盛り上がるのではないでしょうか。

あくまで私見ですが、そんな風に考えています。

放課後、教科別の協議会ではアルティメットの実技研を行いました。
さすが現役体育科の学生は動きが機敏だ。
特に球技系の部活に所属している子はディスクに対するセンスが良い。

で、その後はクラス別。
私は途中から明日の授業の準備をしました。

休み明けは感覚がズレてるな。
気がついたら22時を回っていた。
先生方がたくさん残っているのも錯覚を起こさせる原因かもしれん…

今日の晩御飯
豚丼@吉野家
 (ちょっとメシが遅くなってしまった。)

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