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これからの避難訓練

分掌で担当している防災・避難訓練が本日行われました。
博士課程のオリエンテーションがあったのですが、この時間とモロかぶりだったので、そちらは欠席。
業務優先でございます。

担当しているくせに、こんなことを言うのもおかしいですが、一般的な避難訓練でした。
避難訓練に際して事前指導があり、そのときにどういう状況で、どのルートで避難するかが生徒たちに伝えられます。
そして、校内放送が流れ、粛々と校庭に避難します。
集合したところで、点呼が行われ、校長からの講評などでまとめられます。

生徒たちは静かに行うことができたと思います。
時間も年度当初としてはそこそこ満足できるものでした。

でも、これって本当に本当の意味で避難訓練になっているのだろうか?
訓練後、指導部のIシイ先生に次回の避難訓練のテーマについて宿題を出されたので少し考えてみたい。
これまでも避難訓練を行ったことはあるが、徐々にこう思うようになりました。
現代的な避難訓練の在り方があるのではないか、と。

例えば地震が起こったとき、すぐに校庭に出るのは本当に安全なのか。
余震が起これば物が落下してくる可能性もある。教室で待機した方が安全ではないか。
もちろん、火災が起これば校庭に逃れるしかないと思うけれど。

また、集団で行動するのは正解なのか。
実際に災害が起こった場面で、たかが教員一人が数十人のパニックに陥った生徒をコントロールできるわけがない。
場合によっては教員もパニックになってしまうでしょう。
それにも関わらず、クラスごとにぞろぞろと廊下を歩いて行くというのは訓練として適当か。

これからの避難訓練で必要になるのは、状況判断能力だと思います。
いろんなパターンを学習・経験し、状況に合った判断を生徒自身ができなければならない。
自分の身は自分で守るためには「◯◯で△△が起きたら、□□する」という思考の流れが瞬時に想起され、それを実行する力が求められる。

個人にその力を身に付けさせるためには、休憩時間に抜き打ち避難訓練をするべきか。
これもちょっと違う気がする。
あくまでも、どのように行動するべきかという幾つかのパターンを知っているが前提にないと訓練にはならないだろう。
人がそっちに動いているから、よく聞こえなかったけどあっちかな…では訓練した意味が無い。
いや、それもひとつの状況判断か。
あれ?
そう考えると結局こちら側が評価しきれないことはやりづらいだけの話なのか?

今のご時世、以下のような話も出ています。
学校安全計画:初の閣議決定 災害に備え「教科」化も検討
(前略)現在は、けがの応急手当て(体育)や消防署の仕組み(社会)を学ぶ授業はあるが、体系的でなく時間も不十分なため、新たにホームルームや特別活動の時間を充てることを求めている。
授業内容は(1)地域や保護者とともに行う警察・消防への通報訓練(2)学校を避難所に想定した防災キャンプ(3)原子力災害に備え関係機関から情報を入手し避難訓練をする−−などを想定。子供が自ら危険を予測し回避できるようにする「主体的に行動する態度」の育成を目指す。
via 学校安全計画:初の閣議決定 災害に備え「教科」化も検討- 毎日jp(毎日新聞)
教科になると余計に評価という問題が現れます。学校で行われる授業はテレビ番組とは違うのですから、やった結果が「へ〜」じゃ困りますよね。

集団生活をしている学校において、自分の身を守るという最低限にして最大の目的を達成する。
その場面を想定させ、訓練として位置づけるのは、なかなか難しいように思います。
切実感をもって訓練に臨ませるためには、あまり適切な表現ではありませんが、教員の考える規範意識や評価を超えたリアリティや、ゲーム性が求められるのかもしれません。

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