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フルポンパーティー

昨日から4時間授業です。
けど、今日はその4時間ずっとパーティーです。

フルーツポンチを作って、冷やす間に遊ぶ。
名づけてフルポンパーティー。
えぇ、そのまんまです。

ですが、今回はひたすら「自分たちでやる」というテーマを掲げて厳しく行って来ました。
スケジュールで不明な点があればガンガン突っ込みました。
(イヤな先生です。)

「暇な人がいるようだったらやらない」と言って、TODOリストも紹介しました。
このTODOリストを作るときに気をつけるように言ったのは「状況」です。
どこにいるときに何をするのかを明確にすることを徹底しました。
そのために「@(アットマーク)」を使って場所を明示させました。

子どもたちは、時系列に沿って、状況別に行動を決定していきます。
当たり前ですが、何もしない子が出てくるわけです。
そのときに、「君は何をするの?」と問いかけます。
答えられなかったら実行はできません。

そんなことを繰り返していたので、時間はかかりました。

それでも、時間をかけた意味はありました。
その証拠に私がほとんど説教をしないまま1日が流れました。

それは換言すると、私が口を出すまでもなく、子どもたちで計画通りに事を運べたことを意味します。
更に言えば、そういう時の子どもたちの一体感は私の想像をはるかに超えてしまうのです。

【フルーツポンチ】を作るときに用具の出し入れで混乱しない。
実行委員がしっかり指示を出しているからです。
早く終わったところは掃除をして待つ。
予め計画しているからです。

【なんでもバスケット】なる遊びをしていても、揉め事が起こらない。
それどころか、よく分からないコールまで創りだされる。
(そのコールがあった後にお題が出される。)

【カンケリ】で予定していた場所が使えなくても、限られた場所で活動できる。
仕事の分担をしていたから、実行委員の想定外でもイベント係がフォローできました。

これらの活動が上手く流れた原因は、綿密な計画にあったと言っても過言ではないでしょう。

本当にスゴイなぁ思ったのは、子どもたちから振り返りの時間を設定しようと言ったことです。
後回しにせずに今日中に、というところがスゴイ。

ただ、その質についてはダウトをかけました。
良かったことは良かったで済ませていいのでしょうか?
失敗したときだけ、「何で失敗したんだろう?」と考えて、成功したときは「何で成功したんだろう?」と考えないのはおかしくありませんか?

そう問いかければ、子どもたちは、はっとします。

「計画がちゃんとしていた。」
「リーダーとフォロワーがちゃんといた。」
「計画の詰めもちゃんとやっていた。」
「チームワークが良かった。」
「一人ひとりがだらだらせず自分の仕事をしていた。」
「一人ひとりが計画をもって動いていたから。」
「誰も暇がないようにてきぱき動いていた。」
「TODOリストを作って、誰がいつ何をすればいいのか分かっていたからよかった。」

成功した理由を考えることができれば、成功から成功につながるサイクルができるのではないでしょうか。
そのために、私は(一時的に)イヤな人になれます。
彼らに充足感が生まれるのであれば、どんな手でも使えます。

それが結果的に、私にも笑顔をもたらしますしね。

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