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小学部会臨時学習会

来年度の体育授業研究会での発表に向けて授業づくりを進めています。
今年度中に一本やる方向なので、月1の会では少し時間が足りません。
そこで、授業者のオゴロ先生の学校で臨時学習会が開かれることになりました。

ユウヤさん、ナオイさん、オゴロさん、私の4人で検討しました。
検討しながらふと思いました。
「こうやって授業づくりするのって実習の時以来かも」

これまで公開授業や校内研で提案をするときって基本的に自分でつくってから、誰かに見てもらうのが当たり前でした。
ナオイさんは「こうやって授業づくりするのがフツーだよ」って言ってましたけど…

同じ立場の人であーだこーだ言う環境って私の周りには無いのかもしれません。
相談すれば確実に教えてもらえる環境だとは思いますが、案を持ち寄って話をするって感じじゃない。
いや、私が遠慮しているのかな。

まぁ、とにかく私にとっては今回のように授業づくりをするのは懐かしいことでした。

授業で扱うのは陣取りゴール型の予定です。
最近、接する機会が多い気がする。
だからこそ思うことがあります。
陣取りゴール型は授業者のゲーム理解によって成否が大きく分かれるのではないか?
ということです。
他の教材だって、ちゃんと理解していれば子どもたちの学びが豊かになるのは確かでしょう。
しかし、ゲームの中でも陣取りゴール型はそれが顕著な気がします。

なぜか?
それはルール(ゲーム中における「当たり前」)が多いからだと思います。
( )の中がミソです。
ルール自体は子どもと作っていけば良いと思います。
ところが、授業者にはその単元で想定するゲーム像・子ども像があり、それを実現するためにはどのようなルールを提示するかを考えておく必要があります。
そのルールの出しどころの判断が難しいのです。クラスのみんなが共有できるタイミングを見逃すと、一部の子にとっては「当たり前」にならず、再び全体で同じことを確認することになってしまいます。

2回ほど実践しましたが、ルールを書きだしてみると膨大な量になってしまい、どうやって絞り込むかに悩んだ思い出があります。
オゴロ先生の資料を見ると、私の時と同様に大量のルールが書かれていました。

ウチダ先生の授業を思い出すと、子どもたちにとってシンプルで分かりやすいルールが提示されているのです。
そして、恐らくウチダ先生の中では、単元のどの場面でどういった発問をするのかが明確なのです。
もちろん展開していく中で随時修正をしているのでしょう。

見通しと修正の「幅」とでも言いましょうか。
ゲームの醍醐味を理解しているか否かが、その「幅」を決定するような気がします。
教材研究という古くて新しい言葉の意味をもう一度問い直す必要があるのでしょう。

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