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タナカ先生の授業を参観

仕方ないんですけど指導案に追い回される日々が続いています。
今日は授業研究会の前々時をやってから書いたので、少しずつ本時案が見えてきました。

2時間目はタナカ先生の授業を参観させて頂きました。
1年生の総合学習(算数的活動)で、ゼリーをつくる活動をするために任意単位による比較を見つけることを意図した授業でした。

途中からの参観になったため、見ているときはよくわからず…
やっぱ授業はつまみ食いしたらダメですね。
誰が何を考え、授業者がどう解釈したのか。
指導案上には現れてこない部分は記録し続けないと見えてきません。

放課後、学習会の予定を変えて協議会。
そこで質問することによってだんだん分かってきました。
今回の授業では、2種類のタッパが用意され、どっちのゼリーだったら8人分つくれそうかを考えることが学習問題として設定されました。

しかし、実際にはタッパの大きさ比べとなってしまいました。
比べ方としては、直接比較も間接比較も出てきました。
直接比較では「片方の容器からもう片方の容器にゼリーの材料(色水)を流し込む」という案が出たり、間接比較では「他の容器に移して高さを比べる」という案が出たりしました。
それでも、子どもたちは比較に終始してしまったのです。

8人分を求めるには1人分が分かっていないと求められないはずです。
1人分が分かった状態で、その量を8回分測定する。そう、比較ではなく測定するのです。
ところが、子どもたちは「1人分はどのくらい?」と聞かなかったのです。
なぜ子どもたちは8人分に迫る議論に辿り着けなかったのでしょうか?

それは授業終盤に教師からの投げかけで明らかになっていきます。
「8人分ってどうやって分けるの?」
「最初に縦に半分にして、次に横に半分にして、横から見て半分(高さを半分)にする。」
つまり、子どもたちは、そこにあるものを仲良く分ければ良いと思っていたのです。
とても子どもらしい感覚ですよね。
仲良く分けなさいっていろんな場面で子どもたちは言われているはずですもんね。

授業者は1人分の容器を用意していました。
「1人分はどのくらい?」という子どもからの要求を待っていたのです。
ここで教師が出るべきか否か、その選択に迷った。
タナカ先生はそのように振り返っていました。

子どもが見つけるのがベストだが、その時間に子どもたちに学ばせたいもののために出るべきなのか。
それとも、その時間はそのまま流すべきなのか。
いずれにしろ、そこには授業者の手立てが必要になるのでしょう。
指導案上の手立てとして明記しておくべきなのでしょう。

そんなことは重々承知しているつもりです。
でも、抜けていることもあるんでしょうね。

これを書きながら、金曜日の指導案にもっと書くべきことがあるような気がしてきました。
タナカ先生、授業お疲れ様でした!

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