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暴れない新成人

今日は祝日、成人の日。
新成人の皆様、おめでとうございます。

ここ数年は暴れる新成人の話をあまり聞かなくなりましたよね。
暴れていたのは現在アラサーの世代なのかな?
(暴れてはいないけど、私自身も楽しい髪型にしていたり、八◯子ではここには書けないパーティーがあったり…)
それより前はよく知らない。

多感な時期の子どもたちを相手にしている私から見ると、今の子どもも昔の子どもも、そんなに変わらないと思う。
違うのは、むしろその子どもを育てている大人です。

暴れていた時代を思い返すと、オヤジ狩りと呼ばれる恐ろしいことが頻発していました(エアマックス狩りなんてのもありましたね)。
これは、子どもたちが悪くなったと言うか、子どもたちが大人に対して不満を持つから起こったんじゃないかと思うんですよね。

子どもは無邪気だと言いますが、行為に思慮が足りないだけで、行為をされる側からすればよっぽど邪気に満ちていることは十分に有り得ることだと思います。
オヤジ狩りが起こっていた時代は、子どもたちが純粋に大人に対してムカついていた時代だったのではないでしょうか。
大人は何やってたんでしょうね〜?気に食わないことでも言ったんでしょうか?勉強しろ!とか?

一方、今の子どもたちが暴れない原因は…と考えると、大人にムカついてすらいないのだと思うのです。相手にしていないと言い換えることも可能です。
自分の相手は上の世代ではなくて、自分と同じ世代とでも思っているのではないでしょうか。
これ自体は今も昔も変わらないですね。思春期特有の周りが気になる状態です。

では、今の子どもたちが上の世代を相手にしないのはなぜか。
ずばり、魅力が無いんでしょうね。単純に。
「あんな大人になりたいな」といった憧れとか、「あんないい思いして羨ましい」といった嫉妬とか、とにかく大人に魅力がない。
今の大人世代に魅力がないだけでなく、大人になること自体にも希望が無いのかもしれません。
子どもの大好きなテレビに電源を入れれば、やれ不景気だとか、やれ日本は大丈夫かだとか、そんなことばかり言っていますからね。
家庭でお金に困っているニュアンスの言葉が聞こえてきた日には、大人になって良い事あるのかと思ってしまっても不思議ではありません。

新成人が暴れないのは喜ばしいことです。
でも、もし私の勝手な推論が当たっていたとしたら、新成人と上の世代は協力して事を進めることができない。
それでは困る。
少なくとも上の世代である私がもっと魅力的な大人になる必要がありますな。
よし、ガンバろう!
と、勝手に思う成人の日でした。

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