Translate

いくらやっても

この仕事していて考えてしまうのは、きっちり教えるべき学習内容を押さえて、宿題の丸つけをしたとしても、何らかのトラブルが起こるんだなということ。

しかも、それは解決していたと思っていたところから再び煙が立ち上ることもあるし、予想外のところから火が出ることもある。

私にとってのお客さんというのは、目の前の子どもです。
それは間違いありません。
しかし、子どもはいろいろな人に取り巻かれた存在です。
それらを総合して接する必要があります。

子どもと接するときの具体的方法っていうのは、まさしく自分でつかむしかないものです。
誰かに教えてもらえるようなものではありません。
理屈では分かるんですけどね。

子どもたちにもよくお話することですが、見る人によって「それ」は見え方が違うし、聞く人によって「それ」は聞こえ方が違うんですよね。

黒板は何色ですか?
この楽器を鳴らしたときの音はどのように聞こえますか?
どちらを聞いても、似たような答えこそあれど、それぞれが違った答え方をするのではないでしょうか。

教室はそういった違いを矯正する場ではありません。
他者の意見と混じり合って、結果的に矯正されるのかもしれませんが、それは矯正というよりは、合意形成といえるでしょう。

先生は、いくら子どもたちと合意形成をしてきても、その場にいない人との合意形成を図るのはそう簡単ではないんだなと感じています。

コメント

このブログの人気の投稿

クーパー走

保健の授業

Web時計つくりました